福岡市早良区高取にある昭和レトロカフェ「はいから倶楽部」のHPです




第一回はいから寄席が無事終わりました。

10代の頃より落語が好きで新宿末広亭、上野鈴本演芸場や浅草演芸ホールなどで聞いていました。
いうまでもなく落語は伝統的な話芸で何といっても凄いのは所作と語りのみで高度な技芸を要し聞く人を虜にするところです。

今回の演目は、粗忽家勘朝さんの古典落語「時そば」と粗忽家勘タンさんの「手水廻し」でした。

特に、勘朝さんのネタは何度聞いてもオチ(間抜け落ち)が分かっていてもそれに至るプロセスが面白く、所作とテンポの早い軽妙な語り、独特の言い回しが勘朝世界を醸し出しこれが落語の真骨頂であるといつも新鮮な笑いを誘います。
手水(ちょおず)はあとでお客さんとも話しましたが今、使われてないし言葉説明をして話に入るのも間があるし・・・結局は聞き手の方もある程度の勉強が必要かもしれません。

今回は江戸落語と上方落語の両方が聞けてよかった・・・とは、Oさんの意見でした。

さあ、次回はどんな演目で私たちを楽しませて頂けるか、席亭の私としても、また一ファンとしても待ち遠しいことです。



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6度目のトワトワ座ライブ。今宵は初登場のアストリアスの10弦ギター
が奏でる「死んだ男の残したものは」からスタート。
1960年代の終わるころ、自分でもよく唄って樂曲。詩の持つ重さも
深く考えずただただ反戦の意思表示のみが空回りしながら・・

初めのライブの終わった時だったろうか「死んだ男の残したものは」を
リクエストした。それからここのライブで聞くことがはじまった。
(ただ、トワトワ座的にアレンジされているが。いつか編曲なしを
 一度聞かせて欲しいのですが)

今宵は新しいゲストも数名来られ、トワトワ・ワールドの虜にされた模様。
手前味噌になるがこの空間が醸し出す優美な異世界がきっとトワトワ座
をリラックスさせより2人のもっているカオスを引き出す助けとなっている
・・・・と思ってます。2度目のミスも大目にみましょう。大人だから。

次回は、4月22日新しい技もまた見せて頂きたいと期待しながら。
 その日は、今日みたいな晴天の陽気な日だった。昼前、大名の店に行く為
天神にいた。グラグラと大地が揺れ一瞬何がおきたか分からなかったが、
側の鉄骨の柱にしがみ付いていた。そして店のシャッターを開けると入り口の
厚いいガラスが粉々に飛び散って、ディスプレイしていた商品も床に散乱して
一歩も店内に入れず茫然自失としていた。正に青天の霹靂。
 それから月日は経ち2年が過ぎた。今こうして“はいから倶楽部”のオヤジに
なっているとは夢にも思わなかった。これも又、長い旅のストップオーバーなの
かもしれない。(以前の大名の店はすでに解体され駐車場になっている。)

 月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也

私の恩師であるYさんの“人生は旅なり”の色紙が店の事務机の前に掲げて
ある。生前書いて頂いてすでに30年近くの歳月が過ぎている。
その間、仕事と旅を継続してきた。もう海外へは100回は行っているだろう。
その旅も地震後のゴタゴタで中断している。(旅行ではなく旅である)
まだ行ってないところ、行きたいところたくさんある。
そろそろ旅の虫が呼んでいるようだ。
2年間のオーバーストップは充電期間であるかも知れない。

ロブサン・サンボーという名を聞いて分かる人は相当のチベット通である。
第二次大戦中、日本軍の密命を帯びてモンゴル人ラマ僧に化けチベットに
潜入。8年間の潜行をしインドより送還された西川一三氏のもう一つの
名前である。日本人で初めてラサに入った河口慧海より半世紀あとのこと
である。ダライラマ13世の頃であり数名の日本人が入蔵を果たしている。
詳しくは割愛するが、チベット・ラサは今だ行きたいと想っている地である。

そのラサに昨年中国鉄道が開通し世界一の高度を貫いて走っている。
(車内には酸素吸入器が備え付けてあるらしい)
ネパールに行く都度、ラサへの旅を想っていたのだが高山病のことを
考えるといつも躊躇していた。そのラサへの旅はもう単なる旅行という形
でしかないのかも知れない。
聞くところによると西川氏は「チベットは2度と行きたくない」と言われたとか。
そんな西川氏からお便りを頂いたのは、もう6年前のことである。
そして、大学教授をしている私の兄が西川氏の出版記念会に招待されたのも
何かの縁かも知れない。

“ラサ”・・・初めてその名を聞いた時から、サマルカンドの名とともに深く
脳裏にインプットされている。
店の事務机の前には「人生は旅なり」の色紙が、そして後ろには
ダライラマ14世の大きな生写真がいつも見下ろしている。

そのダライラマ14世のドキュメンタリー映像の音楽制作・演奏をされた
川原一紗さんが、6月8日にこの“はいから倶楽部”にてピアノライブを
されるのもこれも“縁”なのでしょう。

初めての試みとして、店内の電気を消しキャンドルの灯りのみの営業をした。
20時スタート時点で客席はすでに一杯。詩音屋まさ、ゆうた、やっさん
そして、“書と似顔絵書き”の三四郎も駆けつけてくれた。
キャンドルの淡い炎がゆれるなか、ゆっくりと詩音屋まさの澄んだアコース
ティックの音色が店内に染み渡っていく。
イマジンさんのフライヤーにはこう書かれている。
  ゛暗いところでなければ見えないものがある
        静かなところでなければ聞こえない音がある”  と・・・

はるか遠い昔、人々は朝日がのぼって動きだし太陽が沈んで眠りにつき
自然と共生していた時代があった。いつのころからかより便利で快適さを
追求しはじめて人間がおかしくなってきた。他人と比較することから
不幸とか幸福とかの観念も芽生えてきた。他人と競争して勝つことが
善であると錯覚するようになった。
 やっさんのディジュリドゥの生音はそんな不遜な人間社会に警鐘を
与えているようだった。カリンバの音は心を解き放ってくれ、口琴の響きは
地球の鼓動を共有してくれた。

そして、゛天才少年 ゆうた”は、7歳になった今、これらの楽器を誰に教わる
わけでもなく自然にあやつり大人を驚かしてくれた。店内においてある
パーカッション(コンガ)にも興味をしめしギターの曲を数秒聴いて、すぐ
即興で叩いていく。(まだ小さいのでイスの上に立って両手で)
ジャンベやタブラも叩くらしいがコンガははじめて叩くみたいである。
3曲、4曲と楽曲が変わっても即座に対応してリズムを変えて力強く叩き
続けてくれた。

   そして、3時間に及ぶライブが終わった・・・・・・
         
この夜一緒にこの時間と空間を共有してくれた皆様に感謝します。
そして又、いつの日か “天才少年ゆうた”のライブができることを楽しみに。

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